土方歳三記念館

昨年の春のとまりぎ旅行は、大雨にたたられ散々であった。そのあと暑気払いということで7月下旬、京王線高幡不動駅に4人が集まった。梅雨が明けきらず、空はどんより蒸し暑い日であった。駅近くで昼を済ませ、多摩都市モノレールに乗り「万願寺駅」に降りる。歩いて数分のところにある閑静な住宅地の中の一軒が土方歳三の生家で、住居の一部が資料館となっている。元八王子在住の元酒豪氏が日野に“資料館があるよ”とのささやきがあって決めた。“土方歳三”には何か惹かれるところがある。

資料館には愛刀、鎖帷子、籠手、鉢金の武具や書状等が展示されており、老人には、ほど良い広さであった。入口脇には稽古に使われた木刀を模したものがあり、手に取って振ることができた。その太い握りと重さは尋常ではなかった。予想を超える来館者だった。近年、若い人達にも人気が高いという。訪れている人達の中に若者、しかも女性が目に付いた。

土方歳三は、東京都日野市の豪農の家に生まれたが剣の道に進み、近藤勇らと出会い、のち新選組の副長として動乱の中、京都の治安維持に当たるも、戊申戦争で新政府軍に追われ、江戸に下り、さらに下総流山、宇都宮、会津、仙台と転戦、榎本武楊と共に箱館五稜郭に入る。蝦夷地の開拓と北辺の護りににつくも、新政府軍との戦い(函館戦争)で明治二年五月戦死する。享年35歳という生涯であった。武士道貫徹という生き様に人々は惹き付けられるのであろうか。

つぎに高幡不動駅まで戻り、土方歳三の菩提寺でもある高幡不動尊金剛寺を参拝した。境内には土方歳三の銅像が端然と立っていた。重要文化財の仁王門(室町時代)や大きな不動明王像(平安時代)のほか見どころいっぱいである。高幡不動駅からの商店街、参道は日曜日にもかかわらず人通りが少なかった。暑気払いに適当な店を探したが閉まっているところが多く、やむなく高幡不動ショッピングセンターのレストランに入り乾杯した。もうひとつ盛り上がりに欠けた。時間もまだ早く、ではカラオケということになり上北沢駅に向かった。

時間が早すぎたようで目当ての店も閉まっていた。目の前の居酒屋に入って二度目の乾杯をした。外に出ると道は大いに濡れており、大雨が上がったところらしい。まったく気付かなかった。駅に着くと変電所落雷で電車は不通、復旧の目途はないという。上北沢在住のS氏の案内で小田急線の経堂駅に向かうことにした。しばらく歩いてタクシーがつかまりS氏とは別れた。経堂駅前は夏祭りで賑わっていた。
また雨にたたられてしまった。