遠藤博先生

とまりぎ

2009.5.12

4月の末に届いた、亡くなられたとの知らせにびっくりし、しのぶ会への案内が続いていたので、出席の返事を出した。

 最初にお会いしたのは入学の頃、奨学金申込者を遠藤先生おひとりで面接したと記憶している。運良く奨学金を受けられるようになったので、よく覚えている。授業でもそうであったが、静かな印象がある。
 卒業後同期会を計画し、参加者は多くても10名ぐらいであったが、先生をお呼びしようというので連絡をとった。快く応じていただき、遠藤先生が電通大の名誉教授であることや、健康に気を使っていることなどをお話いただいた。覚えているのは、ビタミンCを補給するために柿の葉を乾燥させて、お茶と同じように飲んでいることや、カルシウム補給のために煮干のすりつぶしたものを“ふりかけ”にしていることなどであった。
しばらくして先生から個展の案内が届いて、絵を描くことを同期会のときに話されたかどうか失念していたが、調布駅東口近くの喫茶店へ行った。展示された絵は水彩の風景画が多く、素人目にも行ったことのある場所ならば、それがどこだか容易に理解できた。その日は見させていただいただけで帰ったのだが、翌年同じ場所での個展の案内が来たときに購入して、新築した多摩の工場の記念に飾ることにした。数回そのようなことがあって、おかげで工場には、それとわかる先生の絵がいくつか飾られている。

5月連休の最後の日、多摩センター駅から南へ10分ほどの会場へ向った。昼からのあいにくの雨であったが、すでに多くの方々が並べてある絵を鑑賞していた。水彩画だけでなく、大きな油絵のキャンバスも並んでいる。裸婦のスケッチと油彩もある。切り絵や現代絵画のようなものもある。
 調布の喫茶店では気が付かなかったのか、それとも展示していなかったのか、雰囲気の異なる絵に目が入った。お年の女性たちが名前を書いて、そのシールを作品に貼っているのに気が付いて、受付の方に聞いたところ、作品のすべてが持ち帰りできますからと数枚のシールをくれたので、残っている作品のうち、切り絵とスケッチブックに貼った。まだ会が始まっていないうちから、お年の女性たちはなかなかすばやい。
 予定の午後1時を過ぎ、先生の息子さんおふたりから、先生が若い頃から画家への希望をもっていたが、医者であった父親の意見があり、第二志望の物理へ進んだこと。最近は元気な一人暮らしで、好きな絵に向いていたが、転んで足の指を骨折したのが今年の初めころ。入院しリハビリのために階段の上り下りの負荷で腰の骨折が原因で急激に弱り、4月22日、94歳の最期になったということであった。

 ビタミンCとカルシウムを摂取し、スケッチのために山や海へ出かけてよく歩いたことが長寿につながったものと思う。雅号遠藤伯。