とまりぎ
2008.4.7
04年の秋、会津をこよなく愛する士に芦の牧温泉と猪苗代湖、桧原湖、喜多方など案内してもらった。(とまりぎ 芦の牧温泉と会津参照) 3年半ぶりに会津田島で士と再会した。士はまだ東京・八王子に戻らず会津で活動をしていたのだ。今回は残念ながら酒豪氏と二人のみの訪れとなった。
満面の笑みで再会した三人は、近くの祇園会館で昼食のあと、士が借りている住居かつ活動拠点の下郷町立旭田小学校中妻分校に行く。まなびやボッホ館の看板がある。ボッホとは士の作品のモチーフとしているフクロウの鳴き声"ボッホー"(会津地方方言)から名づけたそうだ。細い電線のビニール被覆を利用したフクロウや絵文字の貼り絵作りを指導する教室、分校にあった道具や記念の品々を集めた教室、士の貼り絵や水彩画等の作品展示教室など案内してもらう。宿直室が居室でトイレまでは約40mあるとのこと。5教室分138枚の雪囲いを一人で外したり、草取りとか大変なこともあるそうだが、まさしく人生を楽しんでいる姿はうらやましい。(八王子と会津田島を行ったり来たりの生活)
大内宿に行ってみた。途中の山道で蕗のとうを採る。春の匂いだ。大内宿はテレビで、たびたび見ているせいか、それほどの感激も湧かなかった。しかし立派な藁葺きの民家の集落はいつまでも存続してもらいたいものだ。そのあと今日の宿に向かった。藁葺き屋根の駅舎で有名な会津鉄道・湯の上温泉から白河方面に行った山の中の川沿いにある。二岐温泉・大丸あすなろ荘に5時ごろ到着した。想像していたより立派できれいな建物だ。昨年、日本温泉協会主催の「温泉クラブの集い」に参加、新潟・松之山温泉での抽選会でとまりぎの仲間にこの宿の宿泊券が当たり、その恩恵に与った次第である。露天風呂付の部屋に通され満足。露天風呂付大風呂(内湯)、川沿いの男女露天風呂、自噴泉岩風呂などがある。サラッとした澄んだきれいな湯で、清潔感があふれていた。カルシウム硫酸塩泉でPHは8.6、源泉の湯温は54.8℃だそうだが浴槽は40℃前後でゆっくり堪能できた。
翌朝、会津田島にもどり国道400号を北上、昭和村の"からむし織の里"を見学した。 からむしとは、イラクサ科の多年生植物で、小千谷縮・越後上布の原料だ。約600年も昔から生産しているとのこと。育て、皮を剥ぎ、糸をとり、布に織るまで丹念な手作業になる産物である。さらに北上して川口温泉を左にとり、JR只見線沿いの国道252号を走って、金山町の河井継之助記念館を目指した。途中で思いがけず雪も降ってきた。河井継之助は越後長岡藩の家老で、戊辰戦争で会津に向かったが傷つき、この只見の地で終焉を迎えた偉人だ。残念ながら記念館は閉鎖期間中でがっかりした。しかし記念館の前のゆったりした只見川の流れに、小高い山が映りこんだ雪景色をしばらく楽しんだ。残雪がだんだん多くなる。JR只見駅舎は雪囲いがまだ取れていなかった。只見ダムも雪による通行禁止でやむなく断念。つぎに国道289号を南下した。とちゅう士が旧知の御食処"カネマン茶屋"で花泉(清酒)と茸蕎麦を御馳走になった。店の御夫婦とは二十数年ぶりの再会とのことで楽しげな会話がつづいた。前沢(まえざわ)曲家集落は落ち着いた雰囲気であった。馬や牛と同じ屋根の下でくらす曲家が13戸あるとのこと。いずれも藁葺き、白い漆喰つくりの立派な家で、それぞれ雰囲気があった。さらに南下し、仕上げに温泉ということで旧舘岩村・湯の花温泉の共同浴場"湯端(いばた)の湯"に入った。小さなひなびた湯場であった。おじいさんがひとり、いい顔をして透明な湯につかっていた。88歳だという元気なおじいさんは、汗だくになりながら話の相手をしてくれた。最後に水引(みずひき)集落に寄ったが、曲家の戸数も減ってしまったようで寂しい気がした。田島高原尾瀬口駅に着いた時は夕暮れがせまっていた。
またまた士に何から何までお世話になりっぱなしの旅となりました。