とまりぎ
2007.5.16
温泉とは無縁のころだから、かなり昔のことだ。丹沢へはよく行っていたのだが、近場で生藤山の話が出た。というのはひとりが行ったことがあるとのことだったからだ。彼は丹沢の菰釣山などという滅多に聞かないところへひとりで行って、山中で蛇と遭遇したというようなことがあったくらいだから、面白そうだと意見がまとまった。
秋のある日、亡くなった「とまりぎ」の先生はまだ一緒に行動する前だったから4人、八王子からバスで上案下(現在の陣馬高原下)、和田峠から陣馬とは反対側へ入る。聞いてはいたが、両側が細い竹の山道を藪コギ状態でしばらく登る。竹の道はずっと続くのかと思っていたらそうでもなく、視界の開けた尾根道になった。
ここが生藤山の頂上だと、はっきりわかるような形になっておらず、漠然とした場所で頂上だろうと思われる場所で、昼になったので遅い昼食にした。このあたりでかなりゆっくりした時間を過して、帰りは来た道とは同じ和田峠へ行かずに、中央線の上野原駅へ出ることになった。
尾根伝いにかなり長い道のりを歩く。いいかげん疲れたころ人里が近くなって、道沿いに柿の木がちょうど食べごろの実をつけているのが夕日に照らされて、いい色に染まっている。これをひとつもぎって食べながら歩く。生藤山から2時間以上歩いただろうか、上野原の町に出た。駅は町のはずれにあるから、さらに重い足を引きずって、駅についた。
その記憶があったものだから、後日生藤山へ再度行ってみようと思い立ち、子供たちを連れて、上野原からバスで小菅行きのバスに乗った。春のことであるから、採り残されたたらの芽がひとつ印象に残る。途中このあたりだと思えるところから、とにかく尾根を目指して登る。道は登山道らしくなく、獣道のような急坂を必死で登る。
尾根に出たのは、生藤山より西の浅間峠に近いところだった。この尾根道で少ないが登山者に会って、ほっとしたのは言うまでもない。尾根伝いなので歩きやすく、昼ごろ無事生藤山に到着した。
下山は秋川渓谷側になる、北へ向って歩く。ここでこの程度の山ならば、どこを行っても下の道に出るはずだと、厚い落ち葉の道なき道を行く。途中×印があるので、一般登山者は通ってはいけないのかもしれないが、とにかく歩く。
炭焼き跡があるから、人は入っている。だが、あの×印は気になると思いつつどんどん下る。こういうときは全員が不安になっているようだから、とにかく先を急ぐ。ようやく細い山道らしきところへ出て、これを行くと小川を渡って、舗装された山道へ出た。もう安心だ。しばらく下るとようやくバス通りにたどりついた。
この記憶は子供たちに残ったようで、その後一緒に山へ行こうと誘っても行かなくなった。そうこうする間に、こちらは体力の低下で気力も衰えてしまったのが残念である。