テンペスト 琉球王朝 美し花

角田 稔

2009.4.6

 

池上永一著 テンペストを読んだ。シエイクスピヤ作同名の伝記的戯曲に似た王国復活物語である。舞台は琉球、終末期の琉球王朝。列強の間にありながら、武器を持たずに500年近く王朝を保った琉球の政治、経済、文化、生活風習、琉舞や琉歌に大いに興味をそそられた。何十年か前に会った、絵の中から抜け出てきたように華やかな琉舞の舞姫が、書画、音曲を能くし、女性らしい情感の溢れた和歌も詠んだことを思い出した。
 群雄割拠する島嶼国であった琉球は、15世紀の中頃、尚氏一族(尚思紹王、尚巴志王)によって統一され、第1代尚氏王朝が築かれた。宗教祭祀の王朝では、王女であった巫女 馬天ノロは優れた予知能力と才能により王の任命にも深く関わったという。64年後、家臣(金丸)の謀反によって滅び、第2代尚氏王朝(尚円王)に代わった。小説の主人公 眞鶴 は第1代尚氏王朝の末裔として生き残った孫氏に生まれ、馬天ノロにより霊力を籠められた勾玉を伝えられ、王朝復興を期待されていた。一方、当時の神殿の巫女 聞得大君は霊能力に優れ、権勢を振るい、馬天ノロの勾玉を手に入れようと、何かと真鶴の活躍を脅かし続けた。
 真鶴は稀有な才能と絶世の美貌に恵まれたが、男性ばかりの王府に入るため幼少の時から孫寧温 と名乗り男装して育てられた。13歳で高級官吏登用試験に主席合格、18代尚育王を補佐し、数々の内政、外交上の難事を処理した。王ですら為し得なかった財政構造改革に腕を振るったこと、清国に隷属しながら薩摩にも朝貢し、諸外国からの圧力を受け続けた王朝の外交上の難問を解決した事など数々ある。難破して漂着した英国船や米国の運搬船から脱出した清国人奴隷問題も見事に裁いたが、これなどは琉球の人々の心情をも物語った例である。

 孫寧温としての生活は苦労の多いものであった。聞得大君によって女性であることを暴かれ、絶望して辞表を提出したこともあったが、聞得大君の弱点を握って追放に成功する。清国役人を殺害した嫌疑

で遠島に流罪になったが、女性に戻って苦難に耐え、琉舞の名手として再び本島に戻った。19代尚泰王に見出されて夜は側室眞鶴として仕え、昼間は寧温として王朝末期の王を支えた。男女を住み分ける生活は綱渡りのようなものであった。王子出産後身の危険を察知し、生まれたばかりの王子を伴い王宮を去って隠棲、才知に恵まれた子供 明の成長を見守った。琉球王国は明治5年琉球藩に、12年3月15日廃藩置県令により沖縄県となり、王朝は消えることになった。此の時、誰もいなくなった宮殿に、追放されていた元聞得大君が再登場し、真鶴から馬天ノロの勾玉を譲られ、キングメーカとして第3尚氏初代国王尚明王を誕生させる。かくて真鶴の王朝再興の夢はかないテンペストらしい結末となったが、時の流れの中に新王族は市井に埋もれて生きることになる。
男装の麗人と聞くだけで歴史小説が面白くなる。しかも彼女が追随を許さぬ才能と霊能力を持つ絶世の美女、男装して王朝の抱える難問を次々と解決するのだからたまらない。それだけに、波乱に満ちた彼女の生涯に一喜一憂しながら、琉球王府の政治の仕組み、王妃、側室、女官の住むお内原の様子、王国の宗教祭祀を司る神殿の機能や巫女(ノロと呼ばれる)の立場など、琉球王朝の歴史と共に文芸や教育を重視した琉球文化が身近に感じられるようになった。中でも、百首以上もの琉歌が人々の間で折にふれて詠み交わされたのが心に残った。わが国でも万葉の昔から同様の慣わしがあった。琉歌の韻律は、8986,7586,5586,8886などと、和歌に比べて遥かに自由であった。研究者の話では、琉歌を評価する際、声を出して詠んだ時の音の響きの良さが話題になるという。物語の中で聞得大君が詠う即興の祝詞にもそのような響きがあるように思える。作者の狙いの一つは琉球文化を讃えることにあったのであろう。
若い頃に会った琉舞の舞姫が豊かな情感に満ちた和歌を詠んだ優美な姿が再び思い出されるのである。