赤ん坊の話し

角田 稔

2008.1.30

最近は脳内神経系の研究が進んで、人間の思考力の源泉となる脳内神経部位の働きが明らかにされつつあるようである。専門外の事ではあり立ち入ることは出来ないが、創造力、想像力によって人間が多彩な活動をする様子を見聞きするにつけ、興味をそそられる主題ではある。

  殊に生後数ヶ月の幼児がどのようにして感覚、感情、運動能力を身に着けて行くか、その展開の速さは神秘的でもあり驚異的でもある。恐らく子供を育てた経験のある人々は畏怖にも似た感動を覚えた事であろう。

泣く子と地頭には勝てぬと昔から言われていたように、ましてや話すことも出来ない赤ん坊は、ただ泣き声を出す事によって空腹や欲求、不快感を表現するだけである。この時期、外界からの刺激は赤ん坊の反応を生起させるよりも、主として脳内神経系生成に寄与し続けていると考えるのが普通である。しかしながら、子育てをされた方の中には、赤ん坊がひょっとしたら外界の刺激に対応する記憶や能力を持って生まれてきたのではないかと思った方があるるかもしれない。私にも未だに不思議と思うことがある。生後間もない赤ん坊の、音声的刺激と視覚的刺激に対する反応である。

姉娘が誕生し、まだやっと目が見え出した頃であったろうか、アメリカでは義務づけられている処置であったので、混合ワクチンの注射をすることになった。ドクターが我々と話を交わしながら注射針を娘の顔に近づけた途端に娘が激しく泣き出した。「あら!この子、分かるのかしら」と驚いたドクターが注射針を隠すと直ぐに泣き止んだ。注射針が見えないよう注意しながら無事に注射を済ませたドクターがしきりと頭を振っていた。ドクターはこのような例は余り経験した事がないらしかった。注射針が異常なものと判断したことになるのであろうか。視覚情報を判別する能力が母体内で刷り込まれたものではあろう。

妹娘が生まれて間もない時、抱き上げて話しかけると、腕の中で何か呟くのである。泣き声ではなく口を動かしてまるで答えるように声を出すのである。ベッドに戻すと静かになる。再び抱き上げて話しかけると必ず呟くように声を出す。姉娘の時にはこのような反応があった記憶がなかったので驚いた。言葉に対する反応、話しかけに対する応答が生まれたばかりでも存在するのではないかと思った。只その驚きのままに、それ以来、この子には短い言葉ではなく、意識的に、できるだけ普通の話し言葉で呼びかけたり話をするようにした。何ヶ月か経って言葉らしきものを発し始めた頃、頻りと言葉を連ねようとしてもぐもぐと呟いたのが印象に凝っている。2人の娘の成長の過程を思い出してみると、姉はアメリカで夫婦2人だけの静かな雰囲気の中で生まれ育ったのに対して、妹は家族4人の比較的賑やかな環境の中で生まれ育った。勿論、DNAに含まれている遺伝情報によって人間の基本的能力が大きく支配されることもあろう。我が家の例だけで類推を進めることははなはだ心もとないが、胎児の発育段階を考えると、脳組織形成時には母体内での音或いは振動などの刺激がかなりの影響を与えているのではないかと思う。生後間もない赤ん坊の音声的刺激に対する反応も脳神経系に刷り込まれた能力によるものではなかろうか。

タイム誌(07年2月12日号)に脳研究の最近の発展と成果が特集されていたので触発されて思い出を書いたが、子育てをされた多くの方も経験されているのではないかと思う。