角田 稔
2007.12.30
この頃めっきりと記憶力が落ちたと感じる事が多くなった。これは年齢と共に生じる脳の老化によるものであると思い込んでいたら、物忘れはかなり若年から発生するものであると脳の専門家が話していた。やれやれ歳のせいにしてしまおうと思っていたのにと、がっかりもしながら少しは安心したが、物忘れや記憶力には映像に対するものと言葉や文章に対するものがあるのではないかと思うようになった。
世の中には大変記憶力の勝れた人が居るのに驚かされることがある。円周率を何桁まで記憶しているとか、六法全書を全部記憶しているとか、特別に能力のある人、職業上強い記憶力を必要とされる医師や法律家などの例を除いても、日常あれっと思うことがしばしばある。例えば、世の男性ならば経験した人も多いと思われるが、結婚後幾歳月を経ても、熱烈な思いで付き合っていた頃にふと漏らした言葉を、細かに妻から聞かされることがある。女性の方が物覚えがよいのではないかとさえ思うときである。国会や政治の場でも言った言わぬが紛争の原因になる事があるから馬鹿にはならない。概して他人の言った事はよく覚えてはいても自分の言った事を追及され記憶の曖昧さを思い知らされることが多いようである。
七夕の日に在京の中学校同級生10人ばかりが集まる会が続いているが、お互いの健康を喜びながら、現役ではない気安さから、何時もながらの懐旧談に落ち着き、共通の話題として中学校で教わった先生方の話が出てくる。先生の仕草や特徴などは懐かしい話しの種ではあるが、講義の最中に先生の話された教訓や冗談をそっくり覚えている友人が何人かいる
その一人K君によると、漢文担当の先生が、「大阪新町糸屋の娘 姉は二十で妹は十九 諸国大名は弓矢で殺す 糸屋の娘は目で殺す」という歌を例に挙げて漢詩構成の起承転結を説明されたという。なるほど、一、二、三、四節が順に起、承、転、結と並んで実にすっきりと纏まっていて面白い。それでなくても難解な漢文の時間に、少年には刺激の強い内容のざれ歌を示された洒落っ気や意外性があったとしても、60数年経た後になっても歌詞までそっくり覚えているのにはびっくりさせられた。友人は繰り返していれば忘れないよと言ったが、もともと言葉に敏感で叙述の記憶力が抜群であったものと思う。得意であったこの学科のことについて、先生のいかめしい風貌や厳しかった授業は思い出せても、中身について何も浮かんでこず友人の話に乗っていけないわが身の不甲斐なさが身に沁みた。私のほうはどちらかと言うと先生の風貌とか仕草のような映像的な記憶が主になっていたのではなかろうか。
映像的記憶は写真のように他人に提示する事は困難である。この記憶を基にして説明の言葉を紡ぎだし、初めて記憶の中身を理解してもらう事が出来る。これに対して叙述的記憶は文字に書いたり、友人との会話で反復したりしながら記憶を常に新しくする事が可能である。さらには内容を発展させる事も可能である。昔から女性にとって井戸端会議は格好の情報交換の場であったと同時に叙述的記憶の持続のためにも有効であったに違いない。老人になったらしかるべき集まりで大いに話し、意見の陳述、きざな事も言ってみれば、意外と物忘れに対する恐怖も薄れるのではなかろうか。と、自覚はしながらも、万事に反応が鈍くなっているのは歳のせいではあろう。