角田 稔
2006.7.23
場合により速度表示に時速と秒速とが使い分けられている。聞きなれてしまえばそれなりに理解できるのであるが、適切に表示して分かりやすくするのにはどうすべきかと時々思う事がある。例えば、台風の進行速度は時速、風速は秒速で説明されるが、この場合は比較的分かりやすい。時速35kmと言えば1時間に35km進んだわけで1時間の間に少しばかり早くなったり、遅くなったりしている可能性はあっても問題はない。これに比べ、時速100kmで走る列車に風速40mの風が吹きつけると表現されるときには、風速は秒速であり、しかも瞬間的なものかもしれないので、列車の走行速度と瞬間風速の関係をもう少し詳しく説明しないと、特にそれが列車脱線などの事故の際に用いられると、別に細かな説明がない限り何となくもやもやとしてしたものが残る。体感的に分かりやすいのは、自動車で高速道を走っている時に、横風でゆらりと自動車の進行方向が揺れることであろう。特に車高が車福に比べ高くて軽い車は風の影響が大きいらしい。前を走っている車がゆらりゆらりと不安定に見えることがあるのはこんな時である。瞬間風速と風向、走行速度、車の重量、その他と関わる事柄は多いのであるが、車の速度計を見ながら風の影響の凄さに思い至ることがある。
我々は物の速さを自分の動きを基準にして実感する事が多い。自動車を運転していると、追い抜いていく車が多いので速度計を見ると、自分の車も制限速度を超えて走っている事など常である。歩行時、大人の普通の速度はせいぜい1秒に1m程度であろうか。この程度の速度で歩いている時に、後ろからすいすいと追い抜いてゆく人がいると、思わず速いなと思い、こちらも負けずに速めに歩いたりする。人間の筋力を極限まで用いて速さを競うのは陸上競技の花形である100m競争である。
10秒をどれだけ切るかが話題になる。秒速にすれば平均10mであるが、100m走る時間が問題であるので秒速を如何に正確に計っても意味がない。しかしこれより速く人間だけの筋力で100mを移動する事は出来ないという目安にはなる。マラソンの場合は選手の可能な持続的走行速度を保ちながら全走行距離を走破して時間を競うので平均速度は目安に過ぎないが、1キロ3分として平均秒速5.5mである。超人的な速さといえよう。これに対し、新幹線の時速は360kmとして秒速100m、旅客機では其の倍くらいである。いずれの場合も平均速度としなければ意味がないことは明瞭であるが、感覚的には秒速の方が理解しやすいのではなかろうか。
人間の筋力は目にもとまらぬと表現されるように、時に凄い速さの動作をする事が出来る。例えば、野球投手の投げるボールの速さが140,150kmが普通であり、時速144kmとして秒速40mである。手元を離れる瞬間にはもっと速いはずである。投手マウンドから打者のところまで僅か0.5秒とかからない。打者はこのように短時間、一瞬のうちに、ボールの筋を見極め、それに反応してバットを振リ、ボールに中てなくてはならない。凄い速さの対応である。恵まれた能力と訓練が物を言っているに違いない。この頃、松井選手やイチロー選手の活躍ぶりが気になってアメリカの野球をテレビ観戦することがあるが、身体能力の特別に優れた選手たちの動きには日本の野球とはまた違った興奮を覚えるのは私だけではあるまい。人間の反応速度は何処まで進化するのか。勝負ではなく、速さと格闘する人々の姿は美しくもある。