99%

角田 稔

2006.2.1

我々が日常利用している自動車、汽船、汽車、電車、バス、トラック、飛行機などの乗り物の安全度はどれほどなのであろうか。最近各種の事故が報道されるにつけ考えさせられる事が多い。

もう何十年も前、大学の講義で自転車の強度が十分であるか構造力学的に検討していると呟かれたので驚いた事がある。構造としてはパイプが三角形状に組まれた簡単なもので、計算が比較的容易の筈であった。コンピュータの発達した現在ではこの種の検討は短時間に行う事が出来るであろう。我々が日常利用して何の不都合も感じていない、したがって安全であると思っていた自転車のどこに欠陥があるのかと、当時、驚きと同時に技術の進化はこのような絶えざる検討によって為されるものだと新鮮な感動を覚えた。大学に入学して間もない頃であったので、考えてみれば当たり前のことが心に沁みた。人間の作り出すもの、何事も進化の過程にあるとの思いを深くしたものである。

先日打ち上げられた人工衛星連絡用シャトルが外壁タイルの一部剥落の危険な状態にあるのが発見され、大騒ぎになった。修理が上手く出来ないと、帰還の際大気圏突入時の高熱のためにシャトルが破壊されてしまう危険性があるからである。前回の帰還失敗の原因はまさにタイル脱落によるものであった事は記憶に新しい事なので、関係者はもちろん関心のある世界中の人々が大いに心配した。この度の飛行では野口飛行士らの船外活動によってタイルの補修が行われ、無事に帰還することが出来たのでほっとした。

この際、地上の打ち上げ管制センターから、修理が上手くいったので帰還の安全度は 99 %であると発表されたのが耳に残った。 1 %の危険性があると言う意味なのか、これならば心配要りませんという意味なのか、はっきりしなかったが、もちろん後者のことであったろう。人命が技術欠陥によって目前で寸刻の間に決せられる問題だけに、1%の危険性も許し難いように思えた。技術の限界を知るものにとっては当然の数値に過ぎないのかもしれないが、我々はいつでも100%の安全を期待し、願いながら日々の生活を営んでいるので、正直に99%安全と言われると、一寸引っかかるものがあるわけである。

日常生活の上では余り不都合を感じていないので、その危険性を切実な問題として実感できない嫌いがあるが、火力発電の排煙がアメリカ西部で煙害を及ぼしており、日本の脱煙技術が参考になると友人が言っていたのを思い出した。広大なアメリカでもこの種の対策を要求されるようになっているのであろう。時間軸の長い人類に関わる危険性の一つに炭酸ガス濃度増加の問題がある。地球規模での炭酸ガス排出規制が京都で議せられてからはや数年になる。十分な議論のうえに定められたであろう目標値や到達方法は素人には単純に見えるが、各国様々な事情によって、ことは想像するほどには簡単ではなさそうである。最大の排出国の一つである米国は京都議定書の批准には踏み切れない、むしろ反対であると表明しているところを見ると、産業活動の盛んな先進国程国内に抱える問題は複雑であるらしい。100%安全であるとは言えないけれども、99%は安全と言える対策を早くとって欲しいものである。