角田 稔
2005.11.5
においの刺激によって脳が活発に動き出すプルースト効果というのがあるそうである。私は読書に疲れると香を焚く。どちらかというと和風の香が好きである。ゆっくりと立ち上る薄い煙を見つめていると、ひっそりと漂ってくる香に頭の疲れが癒され、新しい想念が湧き上がってくるのを感じる。
10月の初め頃に漂う金木犀の香も好きである。青春の頃を思い出させてくれる懐かしくもある香である。初めて金木犀の樹を知ったのは京都で学んでいた時である。百万遍停留所の近く、北白川の川辺に下宿から、なだらかな坂道を下って学校へ通う途中吉田山麓付近で、心地よい香りが漂っていた。其の高雅な香は何とも言えず心に沁みた。聞いてみると金木犀の香りとのことで、道路に面した立派な板塀の奥から漂ってきていた。半円形に美しく剪定され、金色の小花を一杯につけた金木犀が覗いていた。奥から琴の音が流れてくる日もあった。其の度に若い着物姿の京美人の爪弾く姿を想像したりした。時期が少し遅れて、この屋敷から、澄んでしっとりとした銀木犀の香も漂ってきた。
玄関の扉を開けるとふっと金木犀の香が漂ってきた。我が家は6階にあるので一瞬まさかと思ったが、何処に樹があるのであろうか、風具合によって香分子が運ばれてきたのに違いない。隣の医院の庭にはかなり大きな樹があるが、玄関とは反対の南側に立っている。東府中駅へ行く途中には北側道路に面して金木犀の生垣が4,5m続いているが、高さは背丈ほどの低さである。出所を尋ねるとすればこの2ヶ所であろうか。東京地区には金木犀を愛でる人が多いらしい。この季節、散歩に出て、漂う香気の在りかを探訪するのは何よりの楽しみである。
旅に出て金木犀の銘木を尋ねることはまた楽しい。友人夫婦らと訪ねた岡山の後楽園には、ちょうど金木犀の香りが公園全体に満ちていた。入口付近にはこんもりと繁った金木犀の大樹が数本あり、樹下には金色の花莚が散り敷かれ、小川には金色の小花が列を作って流れていた。香川の栗林公園の茶亭にも金木犀の香が漂い、門を出ると小さな落花が傘の上に散ってきた。小雨の降る日であった。
伊豆の三島大社には、高さ10mもの金木犀があリ、その芳香は8k四方にも及ぶといわれている。島根の鷺の湯温泉の宿には、椰子の樹の形に似て、数mもの高さまで径が20cmはある滑らかな幹が立ち、其の上に僅かばかりの葉を繁らせた特異な形の金木犀があった。ほんとうに金木犀なのでしょうねと念を押して確かめたほどであった。この樹は様々な樹容に剪定される生命力の盛んな樹のようである。
大学の構内には、東地区教室前に、植樹時には貧弱だった木が2,3mにも育って形よく剪定され、時期が来ると、葉陰から金色の小花を覗かせて、清らかな香気を漂わせている。西地区研究棟前の金木犀は20年ほど前に何人かの先生が深大寺植木市で買い求めた苗木を、何かの記念として植えられたものであった。刈り込みもされないで繁っている。80周年記念会館竣工を記念して植樹した金木犀と銀木犀が20年後にどのように育っているのであろうか。