中野 章
1999.7.9
はじめに:
今私は3人のガイド兼ボディガードを従えてメキシコ市のとある街角に立っている。
この一角はメキシコの最もメキシコらしさ「混沌」を持った場所「ソナ・ロッサ」である。東京でいえば銀座、丸ノ内、新宿または渋谷をいっしょくたにしたような場所である。官庁、美術館、独立、革命のモヌメント、銀行、各国大使館、ホテル、デパート、レストランから小規模商店,露店がギュット詰まった一角から私の市内探訪のツアーが始まる。
今回私はまったくの私事で数回目のメキシコ市滞在をしている。
今回は当地在住の縁者も仕事の関係で私の面倒を見てくれるわけにいかない事情にあった。私としてももっと自由に動き回りたい希望もあった。
とはいうものの、治安の点から、それも問題ありと難色をしめされ、窮余の一策がガイドを雇うことになり、貧乏旅行者としては英語の出来る学生アルバイトはどうかということになった。折り良く学年末(メキシコの大学は6月末から7月始めが学年末)のことゆえ、卒業試験も終わっていたので縁者が修士過程進学の決まっていた教え子の3人に声をかけてくれた。日当150ペソ(円換算約2100円)交通費、昼食付との条件を提示しておいたところ、翌日3人の学生が集まった。当方としては1人で沢山、3人も要らないよと云うと、学生達も先刻承知で日当はいらない、交通費と昼食同伴で話が出来ればよいという申し出である。どうやら日本という国への興味が日当不用、そのかわり日本のことをいろいろ知りたいという発想のようである。私としてはこの期に及んで特に異存はなく、ここに親衛隊風のガイド兼ボディガード団が結成されたわけである。
喜んだのは私よりも、むしろ縁者のほうで、これで安心して街中に放り出せると思ったようである。
かくしてその日から3日間のツアーが始まり、いま私達は喧騒と混沌の街角に立っている。3人はパブロ君、エレアサール君、モイセス君である。これは途中途中の会話のなかで分かった事であるが、彼等が日本に対する関心興味を持つ原因の一つはかっての長野オリンピックにあるようである
事実日本の都会で知っているところを聞くと東京、長野までは各人共通、後はそれぞれ京都であったり、横浜、大阪であった。
またメキシコは歴史的に親日的といわれているが、そんなことも背景心理にあるのかもしれない。反面アメリカに対しては、しかめた顔つきがその気持ちを現していた。現在経済的依存度は日本とは問題にならぬぐらい大きいにもかかわらずである。これもまた歴史の事実がなせることか?
話変わって、お互いのコミュニケーションはどうなったかというと、双方の初心者レベルの英会話力と当方の幼児的スペイン語でなされたが、スラスラとはいかず時間がかかったものの何とかなったというのが後日感である。彼等の英語の構文力は私などよりも遥かにしっかりしているのだが、発音がスペイン語的、たとえば、ヤング(young)がジョング、ロー(law)がラウになり、私としても、人のことを言う資格はないが、これには戸惑ったものの、3日目にはこちらも発音からスペルを逆推理し納得出来るようになった。
ここで誤解の無いように申しそえなければならないのは、外国人旅行者には必ずガードマンが必要なほど治安が悪いかというと、決してそう言う事ではなく、私の印象ではアメリカの大都会並ではなかろうか。
次回より数回に亘って、次のようなトピックを記します。