中野 章
1997.3.20
久しぶりにラフィダ嬢が訊ねてきた。もう結婚して二女の母親であるから「嬢」とは呼べない。ラフィダはマレーシアからの留学生である。マレーシアからはマハティール首相の「ルックイースト政策」(日本の戦後の産業発展に学べ)の一環として多く留学生がやって来たその一人である。短期間の日本語学習課程を経てわが電通大に入学してきた。
縁あって我が家族との付き合いが始まり、お互いの家族同士の交流も始まった。
無事4年の課程を経て卒業し、現地の日系合弁会社に就職した。
ちなみに同時期にマレーシャからは彼女以外に数人の女子留学生が入学したが結局卒業したのは彼女だけであったそうである。(これは有山学長の話)
元来呑気で明るくおしゃべりの彼女は日本人社会にうまく適応し4年有余の日本滞在でその日本語の上達ぶりは眼を見張るものがあり、電話での会話だと外国人だと気づかないぐらいの達者ぶりであった。大の巨人ファンになったのも同じ巨人ファンの家内とウマがあった。
現地の日系電子部品会社に就職した彼女は、あのノンキ娘がと思わせるような変貌を遂げていく。帰国後四 ̄五年経った頃であろうか、大きいお腹(妊娠7~8ヶ月ぐらいだろうか)と大きい旅行用トランクを抱えた彼女が再び我が家を訪ねて来た。
聞けば会社からの出張で日本国内の顧客企業、仕入先企業を北は福島県から西は熊本県まで数箇所過密スケジュールで打ち合わせ訪問するとのことである。それだけに留まらず帰途は韓国、香港で会議をして帰るとのことであった。
話を聞いてハラハラと心配する家内を尻目に平然としている彼女に東南アジアの活力と発展の熱気を見た気がした。
振り返っていまの日本の若い女性に、否女性に限らず男性にこれだけのド根性がある人は少ないのではなかろうか?
筆者と同年輩の友人にこの話をしたら「まるで高度成長期に我武者羅に働いた我々の若い時代を思い出すね」というのが彼の感想であった。
彼女は今その会社での新規事業立ち上げのリーダーに抜擢され、日本を始めヨーロッパ、米国を駆け巡っているようである。直接に縁のあった留学生とはいえ、帰国後故国で日本と深く関わりながら活躍している話を聞くのはオールド先輩として大変嬉しいしだいである。第2第3のラフィダが出てくれることを願ってやまない。