「四千万歩の男」その後

今が好き♪

2001.8.10

井上ひさしの小説「四千万歩の男」以来、伊能忠敬への関心が高まりつつある。つい最近、どこにも残っていないとされていた、伊能図、「大日本沿海輿地(よち)全図」の大図206枚(内未発見140枚)が米ワシントンの議会図書館から発見されるというビッグニュースが報じられ(朝日新聞7月5日)、話題を呼んでいる。地図は江戸末期、日本全土を3枚で表わした小図、8枚からなる中図、214枚の大図(縮尺約3万6千分の1)の3種類が作成されたが、正本は既に明治6年、皇居の火災で全焼、写図では小図・中図が揃っているものの、大図はわずかに60枚ほどの所在が判明しているに過ぎないというから、今回の発見がいかに意義深いものかが伺われる。

平成10年、郷里佐原市で新伊能記念館の完成。同年、江戸東京博物館(東京両国)での「伊能忠敬展」と井上ひさし講演会。平成11年から本年元日まで2年がかりで、伊能測量隊が歩いた全行程をリレー形式で走破、ならぬ歩破した「伊能ウオーク」。同じく本年1月NHK総合TV放映の正月時代劇「四千万歩の男 伊能忠敬」。この秋11月封切り予定の東映映画「子午線の夢・伊能忠敬」は劇団俳優座55周年記念として製作されるもので、主演は「伊能ウオーク」の名誉隊長加藤剛、賀来千香子、丹波哲郎など俳優座・東映俳優による、忠敬第2の人生を賭けた大ロマン作品。といった具合で、近年関連する話題に事欠かない。忠敬の測量開始拠点、深川富岡八幡宮(東京江東区)境内に忠敬像を建立するという計画もある。

さて、実は四千万歩が誤りだったという話。作者井上ひさしの伊能展での講演を聞きに行った折、冒頭、作者が明かしたことで、測量隊は一間を二歩、従って一歩90cmで歩測したと小説中にあるが、これは間違いだと言う。実際に自分で測れば簡単に解ることだが、5尺数寸の人間には到底無理で、残された文献から一歩69cmが妥当と言うのが正解だったというわけ。これでは、測量隊が歩いた我が国の海岸線総延長、約3万6千Kmを90cmで割って四千万歩とした仮定の根底が崩れてしまう。69cmで割ると「5千2百万歩の男」で、どうにもしまらない。発表した小説の題名を変えようもないからこれで勘弁してほしいとの願いに、会場は笑いと拍手で承認を与えたのである。

もうひとつ、旧記念館を訪れたおり丁寧に説明してくれたと記した係員はボランティアなどではなく、当時も今も館長の西野元さんであったと言う話。今年、新記念館を見学して解ったことで、こちらも失礼をお許し願いたい。
 この記念館、広い駐車場と町並みにマッチした建物、パソコン・プロジェクター・ビデオなどを使用した、今風の分り易い展示で以前より較べようもなく立派になっていたが、気になることがひとつ。書簡やノートは忠敬自筆のものであったが、展示されている測量計器はことごとく複製、その上種類も旧館時代の数分の1、地図も本物…と言っても当時の写図…は数点であとは当倍写真。にわかに関心が高まった郷土のお宝を大事にする気持ちからだろうが、建物と展示品の落差には失望を禁じえなかった。こうして見ると、本物がところ狭しと展示されていた旧館の展示は、建物の粗末さをおぎなって余りあるものだったことが良くわかる。館長殿、どうかご一考を!

注:本編は平成10年3月掲載の「四千万歩の男」の続編です。