今が好き♪
2000.10.1
使う言葉によって、思考の結果は大きく異なってしまう。こんな話を聞いたことがある。米国に留学し、卒業後現地ベンチャー企業に就職した女性に、こう質問した。「あなたは結婚したらどんな家庭を持ちたいと思いますか?」答えは「元気な子供を産み、夫を助けて、明るい家庭を作りたい」であった。数日後、同じ女性に同じ質問をした。今度の答えは「家庭を持っても、システムアナリストの資格をとって社会に貢献したい」だった。一体、数日間でなぜこうも考えが変ってしまったのだろうか?
仕掛けは簡単。最初は日本語による会話、後日分は英語による質問と答えだ。同一人物のはずなのに、日本語で考えた答えと英語で考えた答えが全く違う。使用する言語が違うと、その語彙の構造や種類によって思考の演繹ルートが違い、結果が異なってしまうということの証左である。言語が国民性を作ると言ってもいい。
さて、今若者の間ではやっている「キレる」「ムカつく」。この品位のない言葉を使った後は、見事に思考が停止してしまう。もう後は、自分の好き勝手をやるだけ。昔の若者とくらべ、それでなくても幼稚な精神構造がいっそう加速され、これで簡単に人を殴る、刺すまで行ってしまう。これら無思考・衝動性をあおる言葉がこの国に、「ジコ虫」を大量繁殖させた一因だと思っている。
また、すっかり若者のあいだで定着してしまった接頭語の「超‥‥」と関西が巻き返した「メッチャ‥‥」。「超かわいい!」、「メッチャかっこぇー!」でおわり、これが彼らの最大級の形容で、これ以上の説明を要しない。思考と会話の単純化に役立っている。グルメ番組のレポーターなのに「メッチャうまい!」が味についての感想で、表現力も感受性も求められないから楽なものだ。そう言えば、シドニーオリンピックの400メートル個人メドレーで銀メダルだった女子水泳選手の感想も、「(金でなくて、)メッチャくやしぃ~!」だった。
何か意見や注意をしても、「へ~っ、そうなんだぁ」、「だよねぇ」で聞き流し、考える姿勢が見られない。ある大企業の人事部で採用担当をしている知人が嘆いていたが、今の若者、特に小ギャルと言われている女高生などと話をしても、はやり言葉に仲間ことばで会話以前、全く話が通じず、さながら外国人だとのことであった。
言語の乱れ、はやり言葉の流行、あるいは若者への非難は平安の昔から指摘され、今に始まったことでも、わが国だけのものでもないが、思考過程の短絡や情操の欠如が、こうした言葉を通して、若者の脳に刷り込まれて行くのは恐ろしい。街やテレビで聞く、若者達の言葉が気になってしょうがないこのごろである。