今が好き♪
2000.5.1
私の住んでいる東京多摩のあきる野市は平成7年9月に秋川市と五日市町が合併して誕生した。もともと国や都の広域行政指導では、この2市町に日の出町と檜原村を加え、4市町村の合併で人口10万に近い新市を誕生させようとするものであった。行政・福祉サービスの向上、議員や職員数の圧縮など経費の節減、道路・市街・公共施設の建設・整備の効率化など、多様化する住民の要求に対応し、地方自治体として行財政基盤の強化を計る、というのがねらいである。
ところが、檜原村は島嶼部を除いて東京都では唯一となってしまった「村」を継承するという立派な見識により合併を辞退。一方、日の出町は、例の多摩地域の一般廃棄物最終処分地の提供によって生まれる豊富な町財政が、合併で目減りする事を嫌っての拒否。結局、財政状態の似ていた2市町、計75千人規模で合併が進められた。地図を見ると、えぐれた、いびつな地形の市が誕生してしまったのである。
この日の出町のゴミ最終処分地、当初の谷戸沢地区が満杯となり、現在は第2処分地の二ツ塚に多摩26市1町370万人分のごみが、毎日1000トン以上も運びこまれている。かって報道されたように、廃液防止用ゴムシートの破損による汚水漏洩、環境データの改ざん、ダイオキシン含有焼却灰の混入など多くの問題を抱え、地域住民との紛争が絶えない。第2処分地は断層による地下分水嶺の関係で漏洩汚水が隣の青梅市にも流出する可能性が懸念され、こちらにも住民運動が広がっている。
こうした最終処分地は現状では残念ながら必要不可欠で、どこかの自治体が受け入れなければならない。その意味で誘致を決めた日の出町の英断は評価に値するだろう。
しかし、その後の行政姿勢は最悪である。一見豊かに見える町政は、ゴミ処分を財政の基盤にすえるあまり、処分に手抜きをし、町の環境・住民の健康と安全を売って成り立っているのだ。行政トップに、利益を2の次にしてゴミ収益を完全な処分地の建設に当て、東京の片田舎を世界に誇る最終処分地のモデルケースにする、と言う選択肢がなぜ思い浮かばなかったのだろう。
一般ゴミではないが、同じような最終処分地が青森県六ヶ所村にもあり、2年ほど前に見学したことがある。わが国の原子力発電所が排出する放射性廃棄物の処分場で、影響の大きさから、さすがに手抜きは許されない‥‥はず。
こちらも財政潤沢で村役場、文化交流プラザなど立派な箱物が揃っていたが、日の出町と際立った違いが一つ。それは再処理・ウラン濃縮・廃棄物の加工・処分方法など原子燃料サイクルの全行程を公開説明していることで、日の出処分地のように立ち入りも見学も禁止、データは非公開という隠蔽姿勢とは正反対である。原燃PRセンターと呼ぶ円形の見学施設があり、最上階から処理施設の敷地全体を見渡すことができる。若いガイド嬢のにこやかな説明付きで、もちろん入場無料、帰りには記念品までもらえるという待遇の良さだ。
説明はどの場面でも「だから安全、だから安全」のオンパレード。これではいくら鈍くても、本当は恐いから安全を強調しているのだと、すぐばれてしまう逆効果。なんとも両極端の施策で、どちらの行政も安心を与えてくれない。
見学といえば新潟県の柏崎刈羽原子力発電所も訪れたことがある。りっぱな見学コースと案内嬢、しつこい安全PRも似たり寄ったりだが、4号炉だったか、稼働中の原子炉の上に立たされ、「今、皆様の足元でさかんに核分裂が行われております。」には唖然。誰の冗談でこんな見学コースを作ったのか、あまりの無神経さと馬鹿ばかしさに一層アンチ原子力が加速されてしまった。
我々が恐れているのは、見た目の安全ではなく、見学で確認しようもないマンネリ化した安全の軽視とシステムの欠陥によって引き起こされる大事故なのだ。東海村の臨界事故や、チェルノブイリの炉心融解事故がそうだったように‥‥。
いずれにせよ、廃棄物処理の模範解答を見出す自治体の出現が待たれるところである。終わりに、我があきる野市と檜原村は、前述の日の出町に処分を依頼している多摩広域処分組合には、加入していないことを書き添えておく。