今が好き♪
2000.3.3
今では使われなくなってしまったが、「もくひろい」という言葉があった。大人たちが道に落ちているタバコのすいがらをひろって、辞書などの薄い紙に巻いて再生し、吸うのである。戦後間もないころ、集めた刻みタバコをきれいに巻くためのタバコ巻き器も売っていた。たしか、トランプケースぐらいの大きさだった。
物資が不足していたこの頃、わたしたち子供には鉄屑ひろいが大事な日課だった。大人のもくひろいと子供の鉄屑ひろい、両方とも、今で言うリサイクル運動だ。近所には、まだ所どころ爆撃の焼け跡が残っていて、そこから鉄屑をあさるのである。また倒壊したビルの残土などには金属が混ざっており、埋め立てなどのためにこうした残土がトラックから降ろされると、こどもたちは群がって鉄・銅・アルミなどを拾い集めた。銅はアカと呼ばれて珍重され、アルミと並んで貴重だった。大きくて値が張りそうなものは運転手のおじさんが持ち去ってしまうので、こどもの分け前は知れたものだ。それでも、鉄を1貫目(3.75Kg)集めれば5円程度になり、アイスキャンデーが買えたのである。アカやアルミはその十倍ほどしたろうか。売りに行くのが楽しみだった。町の金属商の買い取り値段は日によって違い、こどもながら相場があることを知り、売る時期を見計らったりした。収入のある子供はいつの時代でもマセているのだ。
今、みちばたに落ちている金属など、見向きもされない。リサイクルが叫ばれながら、当時のお宝がゴミとして、山といわず、川・海岸・休耕田などいたるところに捨てられている。ドライブで山道や人通りのない間道に紛れ込むと、ふとん・家具・電化製品・タイヤなどが道路脇や草むらに投棄されていたりしてギョっとする。香川県の豊島(てしま)に山積みにされたごみやフィリピンに運ばれた医療品などの産廃(産業廃棄物)は極端な例で話題になった。処理費をとっておきながら、不法投棄で済ますなら、見つからない限りぼろもうけだ。おかげで産廃の処理業者は総じて悪者あつかい、白い目で見られがちだ。実はわが国では、こうした業者の大部分が零細小企業、処理業者で有名大企業など存在しないのである。力関係から言っても委託企業は親会社格。コストダウンの名のもとに処理費をねぎられ、十分な処理ができず、手抜きをよぎなくされていることも事実なのだ。増え続けるごみを邪魔物扱いにし、ひとり処理業者を責めても何の解決にもならないのである。
カナダや米国には産廃などごみ処理・リサイクル専門、年商数千億円に達する大企業があり、立派に社会責務を果たしていると言う。見ようによっては需要あまた、ごみ処理とリサイクルは一大成長産業なのだ。わが国でもごみ処理業界が重要産業と認知され、大企業、中堅企業が育成される、産業政策としてのシステム作りが急務なのだ。