ジュネーブ

今が好き♪

2000.2.1

ミラノからは44人乗り、小型のアリタリア航空機でジュネーブへ移動しました。朝の天気は上々、揺れもなく、眼下にアルプスが望めます。2時間余の飛行ですが、軽食がでました。スチュワーデスが飲み物を聞いてきます。「コーヒー!」「ありません。」「じゃあ、紅茶!」「紅茶もありません、ジュースならあります。」と言う返事。では、このカップはなんの為だとトレーのコーヒーカップを指差すと、両手をひろげて肩をすくめます。なんの事はない、両方とも積むのを忘れて離陸したのです。小型機乗務の割に大きなからだで、くったくがありません。手元のグラスにトマトジュースをもらうことにしました。

さて、スイスはEUに加入していませんから通関手続きが必要です。ところが両国とも係員はパスポートを手にしてパラっと一瞥するのみ。ジュネーブ・コルナバン駅からパリ・リヨン駅行きの国際特急列車TGVに乗った時はもっと簡単、税関窓口にパスポートをかざすだけでOKでした。手にとってもくれません。ましてや入出国のスタンプを押す国は皆無でした。EU3ヶ国とスイスを回りましたが、結局、パスポートに押されたのは成田空港での出国と入国印のふたつのみ。これでは、パスポートの通関スタンプコレクターはさぞがっかりでしょう。

ジュネーブでは4年に1度開催の情報通信展「TELECOM99」をみました。空港近くのPALEXPOHALLが会場、ラスベガスのCOMDEXよりだいぶ小振りながら、テレコムに的を絞った分モバイルやインタネット関連は充実、ここでも富士通・日立・NTT・NEC・東芝など日本企業が活躍していました。ショーのおかげでジュネーブやレマン湖畔のホテルはどこも満杯とかで、宿はローザンヌの北西、ル・サンティエと言うリゾート地のスキーロッジとなりました。この宿への行き帰りに、5kmほどフランス領の道路を通り抜けます。全くの生活道路ですが国境検問所がありました。住民は往来自由、周辺ではどちらの通貨も使用可とのことでした。私たちも、最初の通関時は係員がバスを覗きましたが、次からはフリーパス。スイスのEU加入は時間の問題でしょうか。
欧州はすでに、携帯電話がどの国にいっても共通使用可能、この上、2002年に予定されている統一通貨ユーロの貨幣が流通しはじめれば、ますますヨーロッパはひとつになって行くことでしょう。

観光では、モンブラン山見物。ふもとの町シャモニーはフランス領、山頂は仏伊国境ですがジュネーブから車で1時間半ほど、スイスの格好の借用観光地なのです。エギュイユ・デ・ミディという難しい名のケーブル山頂駅は標高3842mで、目の前にモンブラン4807mとグランドジョナス山がくっきり、遠くマッターホルンも望めるという雲ひとつとてない上天気です。雪か晴れていても風が強いかで、こんな穏やかな快晴は年に数日しかないと言う僥倖でした。
さすがに日本人観光客は多くありませんでしたが、それでも世界の観光産業の上得意、日本の面目躍如と言ったことが起こりました。シャモニーのふもと駅にケーブルカーが到着し、帰りのお客が降りるのを待って、わたし達が乗り込む段になりました。なんと、同行した内のひとりが降りてきた人に手を振るのです。むこうも解かったらしく会釈を返します。お互い、とっさのことで会話らしい会話をしませんでしたが、まわりも本人もビックリ。聞けば、仕事のお客さんで、こちら大阪堂島の放送関係のシステムハウス、むこうは難波のユーザーだとか。おそらく同じテレコムショーの見学がてらだったのでしょうが、日本人観光客の人口密度の濃さを示す査証とも言えるできごとでした。

最後にTGVで着いたパリはあまりにも有名で、初心者がいまさらコメントする必要も無いでしょう。最初のうちは、チップの額を気にしながら移動にやたらとタクシーを使っていました。初乗り13フラン(260円)は手ごろですが、英語はもちろん、フランス語も充分しゃべれないような外国人運転手で難儀でした。これが、同行した滞仏経験者と一緒に地下鉄に乗ってからは一変。ひとりで乗るには勝手が分からず、敬遠していたのですが、解かってみれば安くて便利。8フラン均一で全線乗り換え自由、回数券ならもっと格安。路線図片手に市内のどこへでもひとりで行けるようになりました。
何事も、先達はあらまほしきことなれ!(徒然草)とはこのことでした。