今が好き♪
1998.12.1
はじめて覚えた英語は、「アイムハングリー!」と「ギブミーチョコレート!」でした。この二つは戦後の子供たちにとっては必須の英語で、日本中例外なく使われていたはずです。昭和20年8月末に厚木飛行場に進駐した連合軍はひと月たらずで日本全土を占領、東京近郊では立川飛行場、多摩飛行場(横田基地)などを接収して駐屯しました。都心では占領直後から、行政、治安、交通、報道などを担当する連合軍兵、といっても実質は米兵、の姿が数多く見られるようになり、ほどなく私の住んでいた下町にも進駐軍がやって来るようになりました。軍務ではなく、遊びで、でしたが‥‥。
近所に「パンパンガール」のお姉さんがいたためで、ひる頃ジープで迎えに来る事が多かったようです。例の「ラットパトロール」や「コンバット」にでてくる無蓋のジープで、1台の時も2台の時もありました。このジープをみかけたらチャンスです。私たちは得意の英語を合唱して、チョコレートやチューインガムにありつきました。鬼畜米英などとは程遠い、陽気でやさしい兵隊さんたちで、このお姉さんの家の仏壇の前にはチョコレートなどのお菓子、果物や肉などの缶詰がいつもきっちりとピラミッド状に積まれていたのを、今でも良く覚えています。
大人たちは進駐軍をまのあたりにして驚きました。機動力あふれるジープ、大きなからだと太い腕、革ジャンに最新装備、豊富な食糧。自分たちに比べ、全てが圧倒的に優勢だったのです。父は彼らを見てよく言ってました「これじゃあ勝てっこない」と。日本兵の多くは敵兵の姿を見たことがなかったのです。日本の軍部は英語の使用を禁止し、敵の実態を隠して戦争を仕掛けたのですから最初から「勝負あった」戦争だったのです。
マッカーサー司令官をはじめとする、意外と温厚、紳士的な進駐軍と接し、その民主化政策に触れて、竹槍と大和魂で戦おうとした日本国民のマインドコントロールは急速に消え、以後、日本はめざましい復興・発展へと向かったのでした。
これでナチスドイツと大日本帝国が勝っていたら、世界はどうなっていたのかを考えると、負けてよかった戦争のように思えてなりません。